映画『さや侍』 新作映画批評 ネタバレあり 死してなお、遺すモノあり

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さや侍



実用英語技能検定に挑戦した妻の汐月瑠沙を連れて、松本人志監督の映画『さや侍』を鑑賞してきました。会場は、ユナイテッドシネマ前橋。日曜16時の回でしたが、結構お客さんが入っていて吃驚。昨今のお笑いブームの影響からか若い客層が多く、時代劇映画にしては健闘していた。

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鞘しかもたない侍 勘十郎と娘 たえとの親子の葛藤と絆を超個性的な作風で描きだす。セリフ棒読みだし、一度観たら忘れられないルックスの主人公を演じるは、最強の素人俳優 野見隆明。

あらすじ(ウィキペディアより)

伊香藩水位微調役だった野見勘十郎はある出来事がきっかけで脱藩し、賞金首になりながらも娘のたえを連れてあてのない逃避行を続けていた。勘十郎は藩にいた際にある出来事がきっかけで刀を捨て、腰に鞘のみを備えていた。

勘十郎親子は多幸藩の追手によってついに捕われてしまう。多幸藩藩主はたいそう変わり者で、勘十郎に対して奇抜な試練を与えた。それは「三十日の業」というもので、母を亡くした悲しみで笑顔を忘れてしまった若君に対し勘十郎が1日1芸を披露し、その間に笑わせることができたら無罪放免、できなければ切腹というものだった。



ネタバレを含む感想は“続きを読む”にて確認してください。
話題の映画『さや侍』を鑑賞してきました。松本人志監督 3本目の映画で、前2作は未見ながら、テーマが親娘で設定が時代劇。主演に素人 野見隆明を配する布陣に、並々ならぬ興味をそそられ観賞してきました。
冒頭からお尋ね者で逃げ回る野見勘十郎が滑稽。りょうやローリーが演じる刺客との不条理なアクションシーンが続き、バカバカしくはじまるオープニング。正直、人生ではじめて松本監督作品を観賞するので期待半分、不安半分でしたが、説明もなく進んでいく物語が不親切だし、撃たれたり斬られたりしているのに、逃げ続けるだけの存在 勘十郎。

面白くもないし、冒頭は意味がわからなかった。

場内がにわかに活気づくのは、捕えられ三十日の業がはじまるところから。お笑い芸人として培ってきた力技が使える土俵にもち込んでからは、物語としての推進力も出てきて、先の読めない展開が面白かった。最後もアレでアレな展開には驚いたが・・・。映画を観ていて、あそこまで笑い声でドッと場内が沸くのは久しぶり。それだけ、笑いにこだわった演出を貫いている姿勢は評価したいが、映画として考えた場合は物語に一貫性がなく、セットにしろ物語にしろ厚みがない。

ちなみに三十日の業で披露される一発芸は、赤と黒の金魚を呑み込んでどちらかを吐きだす荒行や鼻からうどんをすする荒行(エンドロールでみんなが笑ったうどんすすり指導 ほっしゃん)、大がかりなドリフのコントのような人間花火、頭から墨をかぶり襖に飛び込む人間魚拓など、破天荒。

いろいろ爆笑させてもらい、残念なのはラストシーン。30日目の一発芸が、巨大風車を息を吹きかけて回すというもの。セットが資金難を醸し出していて、感情移入ゼロ。本来あそこは一番盛り上がるシーンのはずなのに・・・。結局、三十日の業が達成できず延長戦。将軍から情けをかけられ、最後に侍としての意地をみせ、自ら刀でを手に取り自害する勘十郎。ここの前後の文脈も読み込み不足で、俺にはさっぱりだった。刀をとったのは、最後の意地だったんだと思う。切腹し血に染まった刀を鞘に納めるし。

川岸で、遺言を託した僧が読み上げる文言“めぐり、めぐり、あなたの子供として父さんは生まれ変わります”という文面が次第に主題歌(松本人志作詞 父から娘へ~さや侍の手紙~)になるのは、娘に向けた素敵な内容だったと思うが、全体を総括するとチグハグな時代劇になっちゃったなぁ、というのが率直な感想。

北野監督の座頭市でも最後にタップダンスを踊るシーンが出てくるが、お笑いの人は時代劇の様式美を壊したがる性質があるのだろうか・・・。

今年は邦画も質が高いだけに、もう一歩及ばずといった印象。

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この記事へのコメント
この映画の本質に絞って言うと
『侍・生・死とは?』 
という哲学(宗教)ではないかと思います。

結果的には
『死んで初めて親と子の「絆」は
永遠となるのかもしれません』
という手紙の言葉で、文字通りその考えに能見氏が到達したのがわかります。

娘に背中を押されながら30日の業を通して
自らの『自害・死・侍』と向き合う中で、妻の『死』を受け入れる哲学を手に入れます。
(どこで?となると、協力的な周りの人の行動をきっかけに、としか私にはわかりません。ここはもっと描くべきだったんですが、能見氏を主役に置く別のメリットを優先したんでしょう)

それは妻の死をきっかけで、刀を捨て脱藩した事に対する罪を受け入れる事、
すなわち『切腹する事』を受け入れる事で表されています。
切腹するという事は妻の死を認めたという事と同時に、その強さを手に入れたという事。

切腹ができた強さとは、妻を含めた『家族の絆』は『死』を超越し永遠であるという考えにたどり着いたからです。
『巡り 巡り 巡り 巡って いつか 父が あなたの子に 生まれるでしょう』
という考えです。
しかしその考えは美しき『侍』でないと成立しないのでしょう。救われないのでしょう。
だからこだわって『死』を選ぶのでしょう。

ここが非常に宗教的で腑に落ちない人は納得できない所かと思います。
要するに信じる者は救われるという事です。

だから宗教的な哲学的な内容の映画となっているといえるのかもしれません。
本質を改めて解釈せずとも、感覚的に伝わる部分があり無意識に涙は流れ感動もできる作品ですが、松本人志にはもっともっと正真正銘の名作を期待しています。

2011/06/30(木) 16:22 | URL | esp #-[ 編集]
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