【イベント】京都旅行-24- 3月17日AM2:00~PM14:00 モデルコース 人気スポット巡り

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3月17日から19日まで、京都旅行に妻 汐月瑠沙と出掛けてきた。観光旅行とはバカになり無茶をするほど楽しい。16日仕事から帰ってきて急いで荷造りして、数時間後夜中2時出発。僕らの旅行はクレージーな超ハード★スケジュール。

旅行ガイドブック るるぶ京都を購入し、数週間前から練り上げたプランに沿って京都へ出発。途中休憩をはさんだものの3時間睡眠に加え、夜通しの山越え高速ドライブで、観光する前からフラフラ。先行き不安なのは悪天候に加え、僕自身。

京都プラザホテル

京都プラザホテル

京都に着いたのが朝9時頃で、宿泊先の京都プラザホテルに無理を言って愛車を駐車させてもらい、いざ観光へ。汐月家の鉄の掟として、宿は安く、食事は豪華に、無理してでも名所を楽しむ、という旅行ルールがあるが、今回もそのルールに沿って楽しんだ。(余談だが、京都プラザホテルは5000円で朝食付きプランを選択。京都駅からのアクセスに適しているのと眼と鼻の先に巨大なイオンモール(映画館あり)があり超便利。)

京都市内の観光は、市バスが良いとの判断から、まず京都駅のバスターミナルまで歩き、僕たちは銀閣寺から観光することにした。結構長い時間バスに揺られ、目的地に到着。わびさびを感じる佇まいがあんtも風流な銀閣寺を散策。

銀閣寺 その2

銀閣寺 その1

銀閣寺 その4

銀閣寺 その3


銀閣寺〝慈照寺〟(ウィキペディアより)

慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。銀閣寺(ぎんかくじ)と通称される。相国寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。



天気が悪かったのが残念だったが、拝観料金を払うと銀閣寺御守護と書かれたお札を手渡されるので吃驚(これはは金閣寺でも一緒)。現実世界との境界を表している参道が厳かで神秘的な雰囲気を湛え、庭園をみるだけで時空を越えた波動に浸る。ストライプ模様の銀沙灘、特徴的な砂盛りの向月台が室町アートを醸していて美しかった。




次に僕らが市バスで向かったのは金閣寺。やはり天気が悪く、日を浴びて煌めく金閣寺を見れなかったのは至極残念。外国人観光客が多く、みな一同にカメラで記念写真を撮っていた。

金閣寺 その1

金閣寺〝鹿苑寺〟(ウィキペディアより)

鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。金閣寺(きんかくじ)と通称される。相国寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である。寺名は足利義満の院号鹿苑院に因む。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐。足利義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿(通称金閣)は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、1950年に焼失し、その後再建された。寺は1994年(平成6年)に「古都京都の文化財」の構成要素として世界遺産(文化遺産)に登録された。舎利殿を金閣、寺院全体を金閣寺と通称する。



ちなみに、ヤフー知恵袋で『金閣寺の金は、本当の純金ですか?』という質問に対してのベストアンサーが『金閣寺の建物は、普通の建物の二階三階部分の外壁と三階の内部に金箔を貼ったものです。 この金箔は、戦後に放火全焼した後の再建時に風雪に耐えられるように通常使われる金箔の5倍の厚さのものを二枚重ねにして貼っています。 金箔自体は純金ですが、1000分の一ミリという代物です。』という素晴らしい回答が出ていた。勉強になります。

金閣寺 その2

金閣寺 その4

金閣寺 その3

金閣寺 その5

2つを比較して見ると、派手さでは金閣寺のインパクトには敵わないが、観賞ポイントの多さで銀閣寺のほうが個人的に好み。




次に向かった先は龍安寺。

龍安寺

龍安寺(ウィキペディアより)

龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、禅宗が盛んだった室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。龍安寺は、開基細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱(1467-1477年)で焼失。勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑によって長享2年(1488年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護している。

近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭(たっちゅう、子院)が21か寺、軒を連ねていたという(現存するものは3か寺)。『都名所図会』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が著名であったらしい。寛政9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とした。



龍安寺の観光ももちろんだが、西源院の精進料理である湯どうふを食べるのが目的。(仏教では僧は戒律五戒で殺生が禁じられており、 大乗仏教で肉食も禁止されたため、僧への布施として野菜や豆類、穀類を工夫して調理した料理)



関連ランキング:精進料理 | 龍安寺駅妙心寺駅等持院駅



龍安寺 その2

龍安寺その2

龍安寺でもっとも有名なのは、謎に包まれた15の石が並ぶ石庭。どのアングルから観ても(もちろん写真で撮影しても)石の背後に隠れている小さな石まであり、15個すべてを見渡すことができない遠近法を利用した絶妙の配置になっている石庭。旅人がみな己の心に自問自答して、禅の精神を宿したミステリアスな石庭の謎を解こうと見つめる姿が印象的。この空間だけ時間が止まったかのような静寂を観る者に与える神聖なる場所。

龍安寺 その3

龍安寺

そして僕らは京都に来て最初のグルメスポットへと足を運んだ。



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